「飴ちゃん食べる?」飴が町を救ったお話

飴ちゃんは人と人とを繋ぐコミュニケーション

「飴ちゃん食べる?」
なんだか聞いたことのあるフレーズですね。よく大阪の女性の方々は鞄に飴を入れていてよく飴をくれるという話を聞いたことがありませんか?
ただこの話は別段大阪に限ったことではないのです。
鞄の中に飴やガムなどを常備している方は多いでしょう。きっと男性でも鞄を持っていれば糖分補給やエチケットのために何かしら持ち歩いていることでしょう。

大阪の商人文化と良い意味での庶民文化が重なり大阪の方はコミュニケーション能力が高いのではないかと思うのですがそこに古くからある贈り物の文化が合わさって大阪の女性はよく飴をくれるという噂が出来たのかもしれませんね。

今回はそんな「飴ちゃん」もとい「飴」が人と怪異を繋ぎ街を救ったお話です。

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飴によって救われた町「石川県小松市飴屋町」

時は天正七年の頃、織田信長が自害へと追い込まれた本能寺の変のおよそ三年前の事です。
場所は現在の石川県小松市にある土居原町と東町の町境にあたる場所です。

当時この場所には森があったそうです。その森は昼間でも逢魔時を思わせるように薄暗くいつしか妖怪が出るという噂がたちました。
土居原町と東町の人々はその噂を怖がりどんどんと町から出ていってしまうのです。

そこで町民達は能美郡出身の黙雲という一人の僧に妖怪退治を願い出ました。
黙雲は妖怪退治として森を切り開き日の光を入れることにしましたが同時に妖怪、怪異の供養も行いました。
その供養に使われたのが「飴」だったのです。

飴といっても現在のようないろんな味があるわけではありません。当時の飴は体の滋養のための薬のようなものです。

とは言え町は飴によって救われました。そしてその後この場所には飴を商いとする店が増えいつしか「飴屋町」と呼ばれるようになったのだそうです。

繋いだという表現は適切ではないかもしれませんが供養もまたコミュニケーションの一つだと考えるなら飴は人と怪異を繋いだのかもしれません。

「飴ちゃん食べる?」
こんな簡単な一言が言いづらい世の中ですがいつか気軽に飴を交換出来るような日々が戻って来ますように。

それでは今夜はこのあたりで。

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