「九十九」と「付喪」ツクモの由来と付喪神

物は百年使い続けると霊的なものが宿るのだそうです

世の中にはいろいろな物が溢れています。人間はそれらを使い生活しています。
物を大切にする人や物を粗末に扱う人、はたまた特に大切に扱うわけでもなく物持ちの良い人も居れば丁寧に扱っていてもすぐに壊れてしまう人も居ます。

こういう話を聞いたことがないでしょうか。

「長い年月使い続けられた物には神や精霊が宿る」

というものです。
正確に言うなら「使い続けられた」ではなく「年を経た」なのでたとえ道具のように使うものでなくとも神や精霊が宿ると言われています。

つまり包丁など毎日使うような刃物でなくとも美術品の刀剣も同じ、道具のしての案山子と観賞用の人形も同じということです。

ちなみに長い年月と言いましたがそれは百年だということです。
そしてこれらの物に宿った神や精霊を「付喪神(つくもがみ)」と呼ぶのだそうです。

付喪(つくも)という言葉は案外聞き覚えがあるかもしれません。
それは九十九(つくも)ではありませんか?
九十九髪(つくもがみ)という言葉もありますね。

実は付喪神は九十九神とも書きます。
ではなぜ九十九神とも書くのでしょうか。

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「付喪神」と「九十九神」って同じ神を指してるけど実は違う想いが込められてるのではないか

付喪神は百年を越えて使われた物に宿る神や精霊の事を言います。
そして付喪神は人々にいたずらをするのだそうです。


その昔付喪神の悪戯を恐れた街の人々が煤払いの名目で古い家財や道具を一斉に捨てたことがありました。
捨てられた道具に憑いた付喪神は無残に捨てられたことに腹を立て付喪神達が妖怪となって仕返しにやってきたのです。
それは節分の夜の出来事だったそうです。


物を大切にして使い続ければやがて付喪神が宿り悪戯される。
物を供養もせずに捨ててしまうとそれでも付喪神に悪戯される。
とは言え供養するのも頻繁に買い替えるのも大変です。

それではどうしたら良いのか。

「付喪神」を付喪神でなくしてしまえば良いのです。
供養しなければ何かが宿るのなら宿ったものを付喪神でなくしてしまえば悪戯されることもないでしょう。

そこで考えられた新たな名前が「九十九神」です。
九十九は百に一足りない数です。
百年を越えて悪戯を始めるのならずっと九十九のままにしておけば良いのではということです。

物を大切にするという考えと物に宿ったものとの共存を両立する良い方法ですね。

そういった訳で「付喪神」を「九十九神」とかくようになったのではないのでしょうか。

ただこの考え方に関しては特に文献などがあるわけでもないですしどこかに根拠があるわけでもないです。
今思い浮かんだだけの想像ですので。


物に大切にするのは素敵なことだと思います。
「九十九」という言葉はそんな想いから生まれた言葉なのかもしれません。

ですが本当に大切に思っているなら多少の悪戯くらいになら目を瞑ってあげられるものなのではないのでしょうか。


それでは今夜はこのあたりで。

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