目を閉じ開くは心の目 瞑想と座禅の違い

考えがまとまらない時には瞑想をしてみよう

人は生活する中で必ずと言っていほどに悩みに遭遇します。簡単に解決するような悩みなら良いのですが解決が困難な悩みというのは精神的にも肉体的も負担がかかるものです。

どうやっても解決策が見つからない上になかなか人にも相談できないという方は一度「瞑想」をしてみてはどうでしょう。瞑想と聞くと神様に祈ることを思い浮かべる人もいるかもしれませんがここでお話するのは集中して心を一度空っぽにする瞑想のことです。

部屋の中で物が見つからない時に部屋の中を片付ける人がいると思いますがそれとよく似たものです。まず頭の中を一度空っぽにしてしまいます。そして頭のなかにあったものを整理しながら戻していきます。元に戻す際に一つ一つの物を良く考えながら配置していくのです。そして元に戻ったであろう頭のなかを見直すのです。

こうすることによって自分の中にあるものを客観的に見なおすことが出来ます。他人の目線で見ることによって思い込みや邪魔するものを排除した状態で問題に対峙することが出来るのです。

瞑想と聞くとどうしても座った状態での瞑想を思い浮かべがちですがなにも座って行うことはありません。自分の楽な体制で行えば問題ありません。

呼吸に関しても同じです。深く長い呼吸が理想とされていますが自分の一番リラックス出来る呼吸の仕方で良いのです。無理に呼吸を変えても呼吸することに意識が向きなかなか頭を空っぽにすることができなくなってします。

瞑想は精神医学や心理学の分野でも取り入れられており治療に用いられることもしばしばあるそうです。

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坐禅(ざぜん)を組み無を体感する

仏教では結跏趺座(けつかふざ)もしくは半跏趺坐(はんかふざ)と呼ばれる姿勢で精神統一を行い自分と向き合います。これは禅(ぜん)の修行の一つでもあります。

瞑想が目を閉じて行うのに対して座禅は目を半分くらい閉じた状態(半眼)で行います。坐禅を組む目的ですが先ほど瞑想の話で出てきた「心を無にする」という目的の他に自分を見つめなおすことが目的に挙げられます。これが坐禅を組むことの最終目標といっても良いのではないでしょうか。

坐禅はただ静かに瞑想しているわけでではありません。まずは自分を捨てて自分の周りを取り囲むものを五感を通して感じ取ることで自分の在り方を認識するのです。

そんな座禅ですが一体どのように行うのでしょうか。自由な瞑想とは違いこれは修行の一つです。坐禅を組む上でいくつかの決まり事があります。

まずは坐禅を行う場所ですが暑くも寒くもない場所を選びます。次に調身、調息、調心と言いますが姿勢と呼吸と心を調えます。

姿勢についてですがまず坐禅用の座布団のような坐蒲(ざふ)というものがあるのですがなければ座布団を二つ折りにしてそこに腰を下ろします。座布団より少し分厚いものなら代用できると思います。

そして足を組むのですが坐禅はあぐらをかいて行っているのではなくちゃんと足の組み方があります。左のふとももに右足を乗せ右の太ももに左足を乗せるのが結跏趺座(けつかふざ)といい右の太ももに左足を乗せるだけの座り方を半跏趺坐(はんかふざ)と言います。

この座り方は慣れてない方には少々きついかもしれませんので家庭で行う際はあぐらで行っても良いかもしれません。

手は右の掌を上にむけます。その上に左の掌を上にして置きます。そして両手の親指の先を触るか触らないかというぐらいに近づけます。この形を法界定印(ほっかいじょういん)と呼びこれが坐禅での手の形になります。そして先ほども話しましたが目は半眼(半開き)にして少し前の床を見るようにします。体を楽にして背筋だけを伸ばします。これが坐禅の姿勢になります。

呼吸は瞑想と同様に自然な呼吸で良いのですが坐禅を組んでいる間は自然と呼吸がゆっくりになるそうです。

坐禅は約一時間ほど行います。全く動いて行けないというイメージがある坐禅ですが人間どうしても眠気は襲ってきます。そんな時は体を揺らしたり目をこすっても良いそうです。思っているよりも坐禅は自然体で行えるものなのですね。

禅(zen)とあなたと仏様 神様仏様とはよく言いますが一体どこにいるのでしょう。 困った時の神頼みという言葉を耳にすることがあります...

夏の暑さを乗り切ることができるかもしれない仏教の教え

「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という言葉がありますがこれはどんなつらい状況も考え方次第で乗り越えられるといういみです。

いまでこそエアコンなどで涼を得ることは簡単になりましたが夏はやっぱり暑いものです。仏教の考え方には「暑さや寒さをしのぐためには暑さや寒さのない世界に行けばいい」というものがあります。これは暑さや寒さは自分自身の中にあるもので暑さや寒さとひとつになればそれは感じなくなるというものです。

先ほど坐禅を組む場所の選び方で「暑くも寒くもない場所」と話しましたがこれは快適な場所という意味ではありません。たとえどんな場所であっても自分を殺しひとつになればそこは暑くも寒くもない場所になるのではないかと思います。ですがこれは苦境の中で自我を抑えるということではなく坐禅の話で話したように自分を一度捨てて自分の在り方を見つめなおすということです。

自分の在り方を見つけられれば自分の本当の居場所も見つかるかもしれません。道に迷った時、行き詰まった時は瞑想や坐禅で自分を見つめなおしてみるのも良いかもしれませんよ。あなたの居場所はどこにありますか?

それでは今夜はこのあたりで。

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コメント

  1. h より:

    >座禅は1時間

    無理だ。
    1時間もやるんだったら出家しなきゃならなくなる。
    あんたは何を言っとるんだ。