クマバチはなぜ翔べるのか
黒い体に黄色のフワフワしたアクセント。意外と可愛いクマバチですが蜂というだけで結構嫌がられることが多いようです。
実はクマバチは温厚な性格でこちらが攻撃しない限りまず襲いかかってくることはありません。
蜂全般に言えることですがもし体に蜂がとまったりしたときに追い払おうと叩こうとしたり手で払ったりするのはやめましょう。
手で払ったりすると蜂は攻撃されたと思われて刺されてしまいます。もし体に蜂がとまったときは無理に動かず蜂が飛んでいくのを待ちましょう。
さて、クマバチですが実は航空力学的に飛べない体のつくりだと言われていることを知っていますか?羽の大きさとその動きに比べ体が大きすぎるそうなのです。
科学の一分野である航空力学で否定されながらもなぜクマバチは飛ぶことが出来るのでしょうか。
「あれ?飛べなかったの?」飛べないという概念を捨てる
空を飛ぶ生物はたくさんいます。人もまた科学の力を使い空を飛びます。そんな空を飛び回るもの中でも蜂の飛行性能はずば抜けているのです。
低速から高速飛行、上昇に下降や旋回まで自在にこなし何よりホバリング(空中停止)までやってのける強者です。これはクマバチにとってもお手のものです。
ここまで一人航空ショーを行えるほどの実力を持ちながらなぜクマバチは飛べないと言われているのでしょう。言い方を変えるなら科学で否定されながらもなぜクマバチは飛ぶことが出来るのでしょう。
なぜ飛べるのかという説にこういったものがあります。
「クマバチは自分が飛べないことを忘れてしまっているから飛ぶことが出来る」
面白い説だと思います。「飛べないことを忘れてしまっている」というよりも「飛べないことを知らない」と言ったほうが適切なのかもしれません。
生まれながらにして飛ぶという行為がクマバチにとって当たり前のことなのです。
人の持つ人の知らない力はあるのかもしれない
霊が見える人と霊が見えない人がいます。霊が見えない人は「霊は人の目には見えない存在」だと思っているから見えないのではないでしょうか。
霊が見える人は生まれながらにして見える人が多いと聞きます。それは「霊が見えないことを知らない」から霊が見えるのかもしれません。
元々持ち合わせている本能から来ている部分もあるでしょうが人は経験からいろいろなことを学びます。そして自分の力量と物事を比較し「出来る」のか「出来ない」のかを判断します。
そしてその作られた基準は個人の差はあれど次々と積み重ねられ受け継がれていきます。
これは一人の人間が生まれてからその生涯を閉じるまでの話ではありません。人類が地球上に現れてから現在までの話です。
もしかすると人には固定観念の外側に使えることを忘れてしまった計り知れない力が存在しているのかもしれませんね。
ですがやっぱり人は飛ぶことは出来ないと思うので無茶はされないように。
それでは今夜はこのあたりで。