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水の音を楽しむ工夫「水琴窟」
この道を歩くのは久しぶりだ。少し傾斜のある道を息を切らしながら歩いていく。季節はもうすぐ冬に差し掛かる。少し冷たい風が揺らす木々の音があたりの静けさを強調しているようだ。
元々歩くのは嫌いなのになぜ辛い思いをして歩いているのか。それはその道の先に非日常の空間が待っているから。非日常とは言っても時の流れにより非日常となってしまったと言うべきだろうか。この先には自然が作り出すレッドカーペットと指揮者のいないオーケストラが待っている。
ここは京都市洛北の一乗寺にある「圓光寺(えんこうじ)」と呼ばれる寺院。ここには美しい日本庭園「十牛の庭(じゅうぎゅうのにわ)」があります。
この十牛の庭の計算されたような景観を彩る紅葉はあなたを日常から連れ出してくれるでしょう。ですが「十牛の庭」は紅葉の散る時期に本当の姿を見せてくれます。
庭一面に敷き詰められた赤い紅葉はまさに自然のレッドカーペット。思わず声が漏れてしまいそうですがそれを抑えて耳をすませてみるときこえてくるはずです。自然の奏でる指揮者のいない自由な演奏が。
その演奏の中に時折聞こえるアクセント。低い音ではないけど耳を突く訳でもない澄んだ音は一体どこから聞こえてくるのでしょう。
そこには景観に溶け込むように佇む書院があります。その書院のそばにある手水鉢(ちょうずばち)のあたりからそのアクセントは聞こえてきます。
この手水鉢にはある仕掛けがしてあるのです。手水鉢から溢れた水が地面に染み込むとその水滴が落ちる音が地中に埋めてある鉢や瓶の中で共鳴して綺麗な音を奏でます。
これは「水琴窟(すいきんくつ)」と呼ばれるもので水の音を堪能するために作り出された仕掛けです。静かな日本庭園に微かに響く水の音。そこに何を感じるかは聞く人によって様々でしょう。
「水琴窟」と言葉と心
水琴窟の奏でる音は深さや地中の空洞の大きさによって様々です。
深くなればなるほど音は静かに深く響くようになります。浅くなればなるほど音は軽く高い音になります。
水滴の落ちる場所によっても音に変化があります。空洞の中心に落ちれば丸みのある柔らかい音になり中心から外れれば外れるほどノイズのある刺々しい音になります。
これは人の言葉と心に似ているのではないでしょうか。
人の口にから出る言葉は水滴、人の心が水琴窟。人の口にした言葉は人の心に届きます。
その言葉が心の深い部分に届いたのなら言葉は心に静かに響くでしょう。心の浅い部分にしか届かなかったのなら軽く浅く響きます。
心の真ん中に届く言葉は優しく柔らかく心の中に広がります。心の隅に届いた言葉はどこか刺々しく心に広がるでしょう。
目の前に広がる非日常の中であなたは水琴窟の音に何を感じるのでしょう。普段気にすることもない水滴の音。普段気にすることなく発している言葉を普段とは違う空間の中で見つめ直してみてはどうでしょうか。
それでは今夜はこのあたりで。