神域への誘い 神隠しと道標

神域と呼ばれる場所へ

うっそうと生い茂る草木を掻き分けて進んでいくと突然ひらけた場所に出た。
目の前に広がる平原はありきたりでありありながらもどこか不思議な感覚を覚えるものだった。
我々が住む現世(うつしよ)とは別に常世(とこよ)と呼ばれる別の世界があります。常世は幽世または隠世とも言われ死語の世界や魑魅魍魎の住まう世界のことをいいます。そして神々の住む世界「神域」も常世に含まれています。

現世とは違う世界「常世」。その入り口は様々な場所にあり時折私たちを誘うのです。

見える入り口と見えない入り口

この世界に多々ある神域つまり常世への入り口ですがその入り口にはある特徴があります。
以前神域の入り口として神社の鳥居や御神木の注連縄を例に挙げましたがこれは目に見える分かりやすいものです。
実はこういった特徴的なものだけが神域の入り口ではありません。
目には見えなくてもそこが常世との境界になっている場所が数多くあるのです。

それは「時間や空間が一変する場所」です。
山から川へ、川から海へ、または森から平原など地形の様変わりするその場所にこそ神域の入り口があると言われています。
以前の記事でも紹介した千葉県市川市の八幡の住宅街にある「八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)」は周囲の様相からは想像出来ないほどうっそうとした森です。
ここは昔から神隠しの話が残っていて現在も足を踏み入れてはいけない「禁足地」となっています。
ここも又風景の一変する場所であり神域への入り口である可能性が高いのです。

神域への入り口とされているのは何も場所だけではありません。
様相が変わろうとする時間もまた常世との境界と言われています。
その代表的なものが「逢魔時(おうまがとき)」です。酉の刻とも呼ばれますがこれについては以前お話ししました。

昼から夜に変わるその瞬間は常世との境目が弱くなり二つの世界が繋がるとされています。
しかし逢魔時は魑魅魍魎がさまよい歩くと言われていますのでこの時繋がるのは神々の住む常世ではなく魑魅魍魎や亡者や幽霊が住む常世に繋がるのかもしれません。

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「常世と道標」もし常世に迷い込んでしまったら

突如人が姿を消す現象を「神隠し」や「天狗隠し」と呼び神域へと誘われたとされたり天狗に連れ去られたとされたりもします。
この神隠しという現象については古来より記述が残っています。
ではもし何かの拍子に現世から常世に迷い込んでしまったらどうしたらいいのでしょうか。

自分でも気付かないうちに常世へと誘われてしまっても一番大切なのは慌てないことです。
まず周りを見回して帰るために必要なものを探しましょう。
それは「道標(みちしるべ)」です。常世と現世には二つの世界を繋ぐ道標が存在します。

お盆に立てるお線香は御先祖様の霊がお線香の煙を道標にして迷わないようにするためのものです。
他にもお盆に鬼灯(ほおずき)を供える習慣があります。鬼灯は萼(がく)が袋状になっていてオレンジ色をしています。そのため鬼灯を提灯に例え先祖の霊が二つの世界を行き来するさいに足元を照らす灯りになるように供えられるのです。

常世は古来は常夜と書かれました。神社の参道には石や木で出来た灯籠「常夜灯」が置かれています。
神社にある常夜灯は普段家の照明などに備えられているナツメ電球などの常夜灯(じょうやとう)ではなく常世への道を照らす常夜(とこよ)灯ではないかという話を以前させてもらいました。
ですがこれはただの推測でそのような記述はないかと思います。

あなたがもし常世に迷い込んでしまったのなら辺りをよく探してみましょう。もしかするとなんらかの道標があるかもしれません。

人が迷ったときもそうです。普段気にもかけないようなものや見過ごしてしまいそうな小さなものこそあなたを迷いから抜け出させてくれる道標となるのかもしれないのですから。

それでは今夜はこのあたりで。

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