「牛」は忍耐力と英知を象徴する動物
「赤べこ」と呼ばれるものをご存知でしょうか。「べこ」とは東北地方の方言で「牛」を差す言葉です。
赤色は邪を跳ね退けると言われていて赤く塗られた牛の張子人形は子供達の魔除けとして扱われています。
今回お話しするのは「べこ」こと「牛」についてです。十二支では「丑」という漢字で表されますが古時刻がほとんど使われなくなった現代では「土用の丑」や十二支以外ではあまり見ることがありません。
古代エジプトでは雄牛は神聖な動物とされていたそうで特に体が黒く額に菱形の白い模様があるものは神殿にて丁重に扱われていたそうです。なんでもその牛が命を全うするときには国をあげて喪に服したという話も残っています。
現代でもヒンドゥー教では牛は神聖なものとして扱われていますね。
そんな牛にみなさんはどんなイメージを受けるのでしょうか。
のんびりしているだとか頑丈そうと思う方もいるでしょう。中には闘牛から獰猛だと感じる方もいらっしゃるでしょう。
そんな牛は忍耐力と英知の象徴だとされています。
ちょっとやそっとじゃ動じなさそうな牛ですので「忍耐力」と言われれば納得出来るかもしれません。
「英知」に関しては牛がある菩薩と関係していることが由縁なのです。
その菩薩とは「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」と言います。虚空蔵菩薩は智恵と慈悲を司る菩薩様です。東大寺金堂にあるものも有名ですね。
実は虚空蔵菩薩は丑年、寅年生まれの方の守り本尊とされています。そして牛はこの菩薩の神使となっているのです。
この事から牛はいつからか英知、知恵の象徴と言われるようになったのです。
ただ牛は虚空蔵菩薩だけの神使ではありません。次はそのお話をしていきましょう。
神様の使いとなった「牛」と天神「菅原道真公」
平安時代の貴族に「菅原道真」という方がいました。
詳しく話すと長くなってしまいますので割愛しますが昌泰の変により大宰府に左遷されることになりました。
菅原道真公はこの地で没することになるのですが彼の死後京の都では異変が起こり始めます。
道真公失脚に荷担した人物の変死や病死が続きさらには昌泰の変の関係者が清涼殿への落雷により死去します。
これらは道真公の祟りだとされました。清涼殿への落雷から雷神だとされ火雷神を祀っていた京都の北野に北野天満宮を建立してその怨みを鎮めようとされたのです。
そして平安の秀才と言われていた道真公はいつからか天神さまと呼ばれるようになり学門の神様として崇められるようになったのです。
菅原道真公を祭神として祀る天満宮ですがその境内で見かけるのが「牛」です。牛は道真公つまり天神様の神の使いとされていて境内には触ると御利益がある言われている「撫で牛」と呼ばれる像もあります。
牛が神の使いとなった経緯については諸説あります。道真公が亡くなったのが「丑の日」だったという話もあるのですが三大天満宮である太宰府天満宮が建立された場所が関係しているという話があります。
道真公の死後にその遺骸は牛車で葬送されていました。すると牛が足を止めて動かなくなりました。これはきっと道真公のご意志だとされそこに墓所が造られたのです。
そしてその地に太宰府天満宮が建立されたのだそうです。
この事から牛は天神様の神使になったのです。
天神様と言えば学門の神様だけではなく火除け、雷除けの他にも鬼門封じや魔除けの御利益があるとされています。
鬼門と言えば北東です。つまり丑寅の方角になります。鬼門を封じる神様の使いが牛というのも気になるところです。
そのあたりの事はまた調べてみようと思います。
それでは今夜はこのあたりで。