「沙羅双樹」沙羅の樹とは仏教における生命の樹のこと

生命の樹と沙羅の樹

生命の樹とは別名「命の樹」とも呼ばれる樹のことです。旧約聖書の創世記に登場する植物でかつてはエデンの園の真ん中に植えられている樹でその樹の実は永遠の命を与えてくれると言われています。

しかし知恵の樹の実を食べてしまったアダムとイブが生命の樹の実までをも食べてしまうことを防ぐために二人の追放後にエデンの東に移されて智天使ケルビムによって守られている樹のことです。

この話に登場するのは創世記というくらいですからキリスト教における生命の樹です。

しかし生命の樹が登場するのは何もキリスト教だけではありません。

ユダヤ教の中にも「セフィロト」と呼ばれる生命の樹が登場します。このセフィロトについてはまた別の機会にお話することにしましょう。

そして日本でも馴染みの深い仏教においても生命の樹が存在します。
その樹は「沙羅の樹」と呼ばれます。永遠の命を与えてくれる訳ではなく仏教の世界では若返りや復活を意味する樹です。

平家物語の一節にも「沙羅双樹」という言葉が出てきますがこれは二本の対になった沙羅の樹を表した言葉です。

仏教ではこの二本並んだ沙羅の樹「沙羅双樹」の下で釈尊つまり釈迦が入滅したとされています。
このことから沙羅の樹は仏教においては聖なる樹とされているのです。

釈迦が入滅した際に四辺にあったとされる沙羅双樹。花を咲かせたのちにたちまち枯れて白い色に変わりそれはまるで鶴のようであったともされています。
それでは生命の樹とされる沙羅は一体どんな樹なのでしょうか。

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沙羅の樹と夏椿

仏教において聖木のひとつとされる沙羅の樹とは一体どんな樹なのでしょうか。
分類はフタバガキ科に属する高いもので幹高30メートルにも達する大きな樹木です。

花の色は淡い黄色で白に近い色をしています。茉莉花(ジャスミン)に似たとても良い芳香を放つのだそうです。

しかしこの沙羅の樹は耐寒性がなく寒さに弱いために日本では自生出来ません。その為日本で育成するには温室が必要になるのです。
そのため仏教寺院などで聖樹である沙羅の樹を植えようとしても温室までも完備する訳にはいきません。
そこで沙羅の代わりとなる植物が植えられるようになりました。

それが夏椿と呼ばれる樹です。シャラノキとも呼ばれますがこれは沙羅の樹が由来でついた別名でしょう。
白い花を咲かせますがそれだけではピンと来ないでしょう。

実は夏椿にはもうひとつ変わった呼び名があります。「サルスベリ」とも呼ばれるのですがこれは夏椿の幹は皮がツルツルとしていて光沢があるためにこう呼ばれるのです。
様々な寺院に植えられているのでこうした幹の樹を見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ただ沙羅の樹は淡い黄色の花をたくさん咲かせます。一方夏椿の花は白色です。花の容姿では決して似ていない夏椿がなぜ沙羅の樹の代わりとされたのでしょうか。

それは夏椿が一日花だからだとされています。
一日花とは花が咲いて一日で花がしぼんでしまう花のことです。
その儚さから夏椿が沙羅の樹に模されたという説があるのです。

一日花はあまり耳慣れない言葉ですが意外に種類は多いです。
有名なものではアサガオやハイビスカスもそうです。あまり知られていませんがオジギソウも一日花でピンク色のぼんぼりのような可愛い花を咲かせます。
この記事のアイキャッチ画像は自宅のサボテンの花ですが同じく一日花です。


ずっとため続けた養分を使い一日という短い時間だけ花を咲かせるというのはたしかに儚いことかもしれません。

儚いの同義語に「無駄」という言葉があります。ですがその花が人々の心に何か響くものがあるのならその儚さも決して無駄ではないのでしょう。


それでは今夜はこのあたりで。

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