神様の住む神社が持つ昼と夜の顔
暑い夏の日に街を歩いているとふと目に入った木々に囲まれた一角。そこには神社が鎮座していました。
鳥居から一歩中に踏み入れると空気が少し変わります。先程までの暑さはほんの少し和らぎ耳を突いていた蝉の鳴き声も心なしか柔らかくなった気がします。
本当に気のせいかもしれませんが神社という場所には何故かそういう風に感じさせる何かがあるのかもしれません。
神社にある注連縄や鳥居は結界を作ると言われていてその内側に神域や聖域と呼ばれるものを作り上げます。もちろんその神域を作り上げているのはその神社に祀られている「神様」です。
夕方になり日が沈むと夜が来ます。以前お話しした逢魔時(おうまがとき)と呼ばれる時間です。神様とはいえ祭り事などの行事のない日は夜になると眠ります。
神様が眠っているときはそこは神域でなくなります。神域でなくなればそこには悪いものが入り込んできます。
夜の神社はどこか不気味な雰囲気がありますが夜の神社にはむやみに行かないほうが良いと言われているのはそのためです。
何より神社は神様の家です。夜間に庭先に入り込むのも失礼だという意味合いも込められているのでしょう。
諦めることなく願い続ける 御百度参り
「信じるものは救われる」と言いますが何かを信じ続けるというのは大変なことです。
神社に参拝するのもその一つですがその参拝の中に「御百度参り」というものがあります。文字通り百回参拝を行い願いをきいてもらうというものです。
これと似たもので「百日詣」というものがあります。これは百日の間参拝を欠かさず行い願いを届けるものです。
では御百度参りと百日詣はなにが違うのでしょう。それは「百日詣」が百日間通うのに対して「御百度参り」は日数は問わず百回参拝するということです。
一日で百回参拝すればいいと言っても簡単ではありません。百回という回数もさることながら一回一回の参拝をしっかりと行わなければいけません。
入り口から鳥居をくぐり拝殿まで行き参拝する。そしてまた入り口まで戻るという行為を繰り返すのですがその中でもしっかりとした作法を守って行わなければいけないのです。
これには並大抵の精神力と集中力が必要です。願いを届ける思いの強さがなせることなのでしょう。
藁人形と丑の刻参り(うしのこくまいり)
先程夜の神社には悪いものが入り込んでくるとお話しました。夜の神社の静けさは「温かい静けさ」ではなく「張りつめた静けさ」です。
夜の闇と不気味なまでの静けさの中に何かを叩く音が聞こえます。「コーン…コーン…」と音は軽くも響きは重く冷たく感じさせます。
描写はこのあたりにして話を進めましょう。
丑の刻参りとは神社の御神木に恨みとともに藁人形を打ち込むものです。時刻は「丑の刻」、午前1時から午前3時までの間に行われます。そしてその姿を人に見られてはいけないそうです。
この丑の刻参りはうまく事が進めば恨みの対象となる相手を病気にしたり出来ると言われています。そしてそれと同時に黒く大きな牛が現れると言われているのですがこれは丑の刻参りの丑にちなんだものなのでしょう。
しかし御神木に釘を打ち込むというのは恨みを聞き入れてもらう前に打ち込む本人に何かしらの罰があたりそうな気がします。
やはり良い願いも悪い願いも叶えてもらおうとすればそれなりの覚悟が必要なのでしょう。
それでは今夜はこのあたりで。