「片輪車(かたわぐるま)」不安と恐怖の片輪走行
よくスタントやバラエティーで車が片輪走行をする場面を見かけます。そんな場面を見るたびに思い出します。
それが「片輪車」です。片輪車とは1779年に鳥山石燕によって刊行された「今昔画図続百鬼」の晦の部に登場する妖怪です。
片輪車は火の怪異で特徴は恐ろしい形相の男の顔が真ん中にある車輪です。その車輪は炎に包まれており主に牛車の車輪とされています。その牛車には美女が乗っているそうなのですがその姿を見たものは祟られるといわれているのです。
京都に現れた片輪車は牛車の車輪ではなくただ車輪のみ姿で目撃されています。
毎晩のように東洞院付近を走り回る片輪車民衆は怯えていました。そんななか片輪車に興味を抱いた女性がいました。彼女は夜に扉を少し開けて外を覗きました。
すると目の前には車輪だけで転がる片輪車の姿がありました。姿を見てしまった彼女に降りかかった祟りは彼女自身ではなく彼女の子供に降りかかったのです。
片輪車は彼女の子供の足を奪ってしまいました。その時片輪車は彼女に絶望へと突き落とす言葉を投げ掛けたのです。
「我を見るより我が子を見よ」と
所変わって隣の滋賀県に場所を移しましょう。
忍の里でもある甲賀郡にも片輪車が現れました。京都のときと同じように毎夜走り回り人々に不安と恐怖を与えていました。
京都での事もあり人々は見れば祟られるし噂を祟られると片輪車への恐怖は膨らむ一方です。
そんな中またも片輪車に興味を引かれた女性がいました。彼女もまた夜に扉の隙間から外を覗きます。
やはりそこには片輪車の姿がありました。しかし今回は車輪だけではなく片輪しかない牛車に美女が乗っています。
でも彼女に投げ掛けられた言葉は同じです。
「我を見るより我が子を見ろ」
彼女は家の中を探しますが子供の姿はありません。今度は足だけではなく子供そのものを連れていってしまったのです。
女性は嘆き片輪車に子供を返してほしいと懇願しました。すると片輪車は「優しきものよ。ならば子供を返そう、私は人に見られてはここには居られない」といい子供を返してくれたそうです。
人に見られるとそこには居られなくなる片輪車は二度と甲賀に現れることはなかったそうです。
「輪入道(わにゅうどう)」魂を奪う理不尽な片輪走行
片輪車の収録されている「今昔画図続百鬼」の晦の部には片輪車とは別にもうひとつ車輪にまつわる妖怪の話があります。
それが「輪入道」です。こちらも燃え盛る車輪の真ん中に恐ろしい形相の男の顔がありこの車輪が町を徘徊するというものです。
しかし片輪車が祟られるのに対して輪入道はその姿を見た者の魂を奪ってしまうと言われています。
ただ目にしてしまっただけで魂を奪われるとはなんとも理不尽な話です。
ですので人々は夜になると決して扉や窓を開けずに朝がやって来るのを待っていたそうです。
しかし輪入道に関しては家に近付けない方法があるのです。それは「此所勝母の里」と書いた札を家の戸に貼っておくと輪入道はその家には近付けないそうなのです。
理不尽の中にある本の少しの救いですね。
さて、この輪入道と先程紹介した片輪車は同じ「今昔画図続百鬼」の同じ「晦」の部に収録されています。
よく似た二つの妖怪ですが元は同じものだったのではないかと考えられています。
自動車社会の現在では牛車というものはまず見かけることはないでしょう。ですがもし燃え盛るタイヤを見かけた時は決して目を向けてはいけません。祟られたり魂を抜かれることがあるかもしれません。
ただ初期消火というのは大事なことです。そこにあるタイヤが本当に燃えているのなら消火器を持って駆けつけるか最寄りの消防署に連絡を。
それでは今夜はこのあたりで。