「予見」「先見」「予知」「先知」予測とは違う超自然的な力

予測と予見は少し違うものなのです

そろそろ秋も本番というところです。秋が過ぎれば冬がやってきます。今年の冬はいつもよりも雪が多く積もりそうな気がします。
庭の草木にも雪囲いが必要かもしれないなと考えながら庭いじりをしていると盆栽用の棚の脚が腐って来ていることに気がつきました。
その日の夜に強い風が吹いていたのですが次の日に見てみると盆栽の棚は倒れてしまっていました。
昨日の内に乗せていた盆栽を下ろしておいて正解だったのです。
「予測する」それは今までの経験などからその後どういう状況になるかを推し測ることを言います。
冒頭の話の中では長年の経験から冬の降雪量を予測して棚の脚が腐っていたことから棚が倒れるのではないかと予測しています。
以前「直感」の話をしたときにも触れましたが直感とは今までの経験や知識を元に脳が瞬時に予測しているとものだと言いました。
人は気づかない内に何かを予測しながら生きているのです。

そんな予測とは別に「予見」という言葉があります。予見は他にも「先見」「予知」「先知」とも呼ばれています。
漢字の通りですが「予測」の予め測るではなく「予見」は予め見ることで「予知」は予め知ることです。
それでは予見や予知は一体どういうものなのでしょうか。

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予知と予知夢と正夢と

予測が予め自分で考えて推し測ることを意味するのに対して予見や予知は本人の意図とは関係なく「分かってしまう」というものです。
それには予測のように知識や経験は関与しておらず人の力を超えた超自然的な力の事を指しています。
予知に関して一番身近なものでは予知夢でしょうか。
眠っている間に見た夢が現実の世界で起こってしまうのではなく現実世界で起こることを予め夢で見ることが出来るのです。
よく正夢と言いますがあれは現実世界で物事が起こったときに夢を思い出して「あれは正夢だったんだ」と気付きます。
予知夢というのは慣れてくれば起きたときに見た夢が予知夢なんだと分かるようになると聞きます。
普通の夢と予知夢との違いは「現実味」だそうです。ですがそれが分かるにはかなりの経験が必要かもしれませんね。

予測と予知と楽しみと

人は常に予測をしながら生きています。何も考えてなさそうと言われる人でも必ず何か予測しています。歩いている時でもあの角を曲がるときに誰かにぶつからないだろうかなども立派な予測です。
もしそんな予測が全て予知へと変わってしまったらどうなってしまうのでしょう。
あの角を曲がると人にぶつかるから曲がるのはやめておこう。今日自宅に帰ると妻と子供達がサプライズの誕生日パーティーを開いてくれる。
先に起こることが全て分かってしまったのなら曲がり角でパンをくわえた女子とぶつかることもありませんしサプライズの誕生日パーティーでは驚いたふりをしなければいけません。
知ってしまえば楽しみも時には自由さえも失ってしまうのです。
知ることの大切さと楽しさを。そして知らないことの楽しさと大切さを忘れてはいけないのかもしれません。
それでは今日はこのあたりで。

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