猫のイメージは「自由奔放」
撫でて欲しそうに目の前に寝転び始めた猫がいます。さて、しゃがんで頭を撫でてあげます。
しばらく撫でていると噛まれました。
オモチャで遊びたそうにしている猫がいます。そこでオモチャを猫の方に転がしてあげます。
すると要らないよと言わんばかりにオモチャを前足でこっちにはね飛ばします。
こちらを向いてしきりに鳴いている猫がいます。呼んでいるのか思って近付きます。
ある程度の距離まで近付くとなんでこっち来るんだと言わんばかりにそっぽ向いてどこか行ってしまいます。
他にもいつもしないような事をしていると興味深そうにずっと見てくる。新聞を読んでいると新聞に乗って邪魔してくる。
そう猫は気まぐれです。自由奔放と言うよりは自分勝手です。まさに己の道を行く猫ですがなぜ猫はこんな感じなのでしょうか。
猫の愛情表現はちょっと変わっている
エジプト神話にはバステトと呼ばれる猫の顔をした豊穣を司る女神がいます。猫と人間が過ごしてきた時間はとてつもなく長いものなのです。
極端な例かもしれませんがもしあなたが道で猫と同じくらいの大きさのイノシシと出会ったとしましょう。あなたはきっとまず関わるかどうかを考えるでしょう。
ですが道で猫に出会ったらどうですか?特に迷うこともなく近寄っていきそうな気がしませんか。
人間には猫と過ごしてきた長い歴史の中で意識よりも深い部分で何か繋がりが出来たのかもしれませんね。
しかし猫を見付けて近付いていくと大抵逃げられますよね。中には見つめているだけで逃げ出す猫もいます。
警戒しているせいもあるでしょう。しかしそれだけではありません。理由は猫の持つ変わった愛情表現にあるのです。猫を見つめて手を差しのべる。これが間違いなのです。これは猫にとっては敵対行為と同じです。
猫の愛情表現は「目を合わせない」ことです。「合わせた視線を外す」「目を細める」ことで敵ではないと伝えられるのです。
猫が苦手な人に限って猫が寄ってくると言われています。猫が苦手な人は猫の方を見ようとしません。それを愛情表現だと思い猫が寄ってくるのです。
もし猫と仲良くなりたいのならまず猫を見ないことです。そして猫から寄ってくるのを待つだけです。人の潜在意識のなかに猫がいるのならきっと猫の潜在意識の中にも人間がいるはずです。
猫もちゃんと人の事を見ている
自分勝手で自由奔放な猫。勝手に遊びに出て勝手に帰ってくる猫。
そんな猫ですが一緒に暮らしていると飼い主の事をちゃんと見ているんだと感じる瞬間も体験することがあるでしょう。
普段は一緒に寝るなんてことがないのに風邪をひいて寝込んでいると添い寝してくる。
旅行などでしばらく家をあける時には準備している間もそばで見ていて家を出るときに見送りをしてくれる。
そんな風にしっかりと家族として認識してくれているのです。
変わった愛情表現に自分勝手で自由奔放な猫。次は猫に関する変わったお話をすることにしましょう。
それでは今日はこのあたりで。