皆さんは「来年の話をすると鬼が笑う」という言葉を聞いたことがありますか?
この言葉は「未来の事なんか考えても何もわからないんだから話したり考えても仕方がない」という意味で使われることわざです。
昨今ことわざ自体があまり使われなくなってきているように思います。
使う場面がかなり限定されるこのことわざもなかなか使われることがないでしょう。
しかし先人の知恵とも言えることわざについて深く知ればいろいろなものが見えてくるのではないでしょうか。
今日は「来年の話をすると鬼が笑う」この諺について考えみたいと思います。
来年の話をすると鬼が笑うの意味と由来
この諺は「未来のことなんて分からないんだから、話したってしょうがない」という意味で使われます。
一説によれば熊本県の昔話である「鬼が笑った話」がこの諺の由来ではないかとされています。
この昔話を要約すると熊本県益城町の山中にあった福田寺というお寺にある鬼が弟子入りに来たそうです。
新しくお堂を建てる際に振る舞われた食事。人一倍頑張って働いた鬼は食事を周り人より多く食べたのです。
しかしそのため食事にありつけない人が現れます。そのため人々は食べるのに時間がかかるように汁物に竹を浮かべて出したのです。
竹を選り分けて食べている間に自分達の食事を確保しようという考えですね。
しかし鬼は浮かべていた竹ごと噛み砕いて食べてしまいました。
ただ竹は硬く鬼は歯が砕けてしまいました。鬼はもうご飯が食べられないと泣き出してしまいます。
それを見たお和尚さんは「また来年になれば歯は生えてくるよ」と話すと鬼は喜び笑ったそうです。
ここまでが由来ではないかとされる昔話になります。
鬼が隠れて笑う時
「来年の話をすると鬼が笑う」実はこのことわざの由来を知ったときに少し違和感を覚えました。
諺の持つ意味は「未来のことはわからないんだから話しても仕方ない」という前向きとも受け取れるものです。
しかし由来となった昔話では来年の話をして鬼が笑っています。来年になったら歯が生えてくるかもしれないし今は気にせず笑っておこうかという意味にも捉えられますし長い年月で意味合いが少しずつ変化していった可能性もあります。
鬼というものは隠(おぬ)が転じてオニと呼ばれるようになったと言われています。
そしてその前は「もの」と呼ばれていたそうです。
「もの」も「おぬ」も目に見えないもの、この世にあらざるもの、怨念をもつもの、祟るものを指す呼び名です。
そのようなものたちが笑うのは一体どんな時なんでしょうか。
この諺の意味「この先何が起こるか分からないんだから考えても仕方ない」その先に実は続きがあったんだとしたらどうでしょう。
この先何が起こるか分からないんだから考えても仕方ない。あんまり不安に駆られていると見えないものに心の隙を狙われる。
こう続いていたとしたら鬼があなたの後ろで笑うのも納得できます。恐怖に不安、心の闇はモノにとっては好物でしょうから。
人の不安もその一つです。不安はいつかは消えるものだと思っています。しかし消えない不安がないとも思っていません。
ただ鬼に笑われないように、狙われないように少しだけでも前向きに生きていけば笑うのはあなたなのかもしれません。
それでは今夜はこのあたりで。