「ねじれの位置」について朝の情景を重ねて考えてみる
空間幾何学では空間内の2本の直線が平行でも交差でもないときはその2本は「ねじれの位置」にあると言います。
2直線が同一の平面上にあるなら必ず平行か交差することになり、同一平面上にないのであればそれは「ねじれの位置」にあるのです。
つまり「ねじれの位置」は3次元以上の空間でしか存在しない位置付けになります。
もちろん私たちが住む世界は3次元以上ですので「ねじれの位置」も存在します。
ただ言葉だけではちょっと分かりにくいので試しに朝の通勤風景を覗いてみましょう。
朝の通勤や通学の時間帯には同じ方向に向かう人やすれ違う人、向かう方向は違っても交差点で行き交う人などいろいろな人達を見掛けます。
同じ方向に向かう人やすれ違う人は完全とは言いませんが平行の位置付けに、交差点で見掛ける人や思いがけずぶつかってしまった人とは交差の位置付けになります。
では歩道橋の上や高架下、立体交差などはどうでしょうか?このような場合は道を歩いていてもその下や上を歩いている人とは顔を合わせることは出来ません。
これらは「ねじれの位置」に近い位置付けになるではないかと思います。
「ねじれの位置」と人間関係について考えてみる
空間内の平行、交差の位置にない2直線はねじれの位置になる。
今度はこれが人間関係ではどうなるのか考えていこうと思います。
人は人と何かしら関わりを持って生きていくものです。
先ほどは顔も知らないし会話もない間柄での話ですが普段から接点のある相手でも同じような事が言えます。
そしてその関わりを表す言葉もたくさんありますね。
話が平行線を辿る
いくつもの人生が交錯する
意見がぶつかる
二人で同じ道を進む
など関係を線で表しても問題ない表現がたくさんありますね。
同じ職場や同じ部屋、同じ空間にいてあなたの意識の中に相手がいればきっと何かしらの関係にはあるのでしょう。
ですが意見の衝突や小競り合いなどで相手を意識の外に追いやったり相手との関わりを断ったりすればそれも消えてしまいます。
タイトルにも書きましたがすねて関係がこじれてしまうとその関係はねじれの位置になってしまいます。
なんだか平仮名ばかりで読みにくいですね。
では漢字に直してみましょう。
拗ねて関係が拗れてしまうとその関係は拗れの位置になってしまいます。
お気付きでしょうか。
「拗ねる(すねる)」という漢字は「拗れ(こじれ)」とも読むのだそうです。
「拗れ(こじれ)」という漢字は「拗れ(ねじれ)」とも読むのだそうです。
どれも同じ漢字ですね。一番言いたいのはこの事だったわけですが続きを話しましょう。
拗ねるのは期待の表れで期待を裏切られた事に拗ねるのだと思っています。
関係が拗れるのも同様に期待の表れでこちらもどちらかが何かを期待していた結果ではないかと思います。
たとえ衝突したり平行線を辿っていたりしても、近付いたり離れたりしても同じ面、同じ世界に居ればいつかはその線が一つになったりもするかもしれません。
同じ方向を向いた寄り添った平行線になるかもしれません。
そう、ねじれの位置にさえいなければ。
それでは今夜はこのあたりで。