訪れた者に富と栄光を与える家「迷い家」
今からずっと昔のことです。明治43年にある説話集が発表されました。
柳田國男により執筆されたその説話集には岩手県遠野地方の伝承などが多く載せられていました。
その説話集は「遠野物語」と呼ばれ現代にも語り継がれています。
「遠野物語」の中で語られる伝承には河童や天狗などの物怪や怪異についてのものから神隠しなどの超常現象についてなど様々です。
そして遠野物語の「六三」と「六四」に「マヨヒガ」という言葉が出てくるのですがマヨヒガは漢字で書くと「迷い家」と書きます。
いろいろな場所をさ迷う家なのか迷った人が辿り着く家なのか名前からではどうもピンときませんね。
迷い家とは訪れたものに富を与えてくれるという伝承が残る山の中にある幻の家の事です。
伝承によるとその家には誰もいないのにあたかも人が生活していたかのように食器が並べられ火鉢には火がくべられているのだそうです。
まるで海に浮かぶ無人の客船のおはなしのようですね。
さて、それは迷い家に導かれた女性の話です。その女性は山にフキを取りに行きました。そして女性は山で迷い「迷い家」を訪れた訳ですが怖くなりすぐに迷い家を後にしたそうです。後日の家の近くに流れる川に綺麗なお椀が流れてきました。
男はそのお椀を拾い持ち帰り今で言うところの米びつからお米を量り取る椀として使ったのだそうです。
するとそれからと言うもの取っても取っても米びつのお米が減らなくなったらしいのです。
迷い家は人に富を与えると言われています。幻の家「迷い家」の中にある家具や食器に家畜などには不思議な力が秘められていると言われています。
ですが迷い家から何も持ち出してはいけないと言われてもいます。
それでは迷い家から富を得るにはどうしたら良いのでしょう。
「欲する心と欲さぬ心」迷い家には欲を持った以上はたどり着けない
遠野物語に記された幻の家「迷い家」は訪れた者に富を与えると言います。
先程話した食料が減らなくなるお椀の話もその一つです。
しかし迷い家の話には続きがあります。それはお椀の話を聞いて自分も恩恵にあやかろうと迷い家を目指した者の話です。
その者は女性から話を聞いて自分も富を得たいと「迷い家」を探すことにしました。
そして山中を歩き回りついに迷い家を見付けることに成功しました。
その者が家に入ると話に聞いた通りに火がくべられた火鉢にまるで食事の最中だったかのようなお膳が並べられています。
しかしその時にその者の心を襲ったのは得体の知れない恐怖心だったのたそうです。
その者は恐怖心に勝つことが出来ずにすぐに家を後にしたのだそうです。
結局その者は迷い家を訪れながらも何も得ることはなかったのです。
訪れる者に富を与えるという伝承を持つ「迷い家」ですが何故その者には富を与えることはなかったのでしょう。
それは人の欲に深く関係しているとされています。
実は迷い家は欲を持たずに訪れた「無欲の来訪者」にのみ富を与えるのだそうです。
「欲する」というのは人として当然のことでしょう。その気持ちを押し殺して迷い家を訪れれば良いのでしょうか。
いえ、それは違います。「欲する」の反対は「欲さぬ」かもしれません。
ただ「欲さぬ」とは「欲する」ことを我慢しているだけなのです。
それは無欲とは違うものです。
無欲とは難しいものです。欲を抱いてしまった時点でそれをどんなに隠そうとも無欲にはなれないのですから。
ここまで来ればお気付きでしょう。
迷い家の事を知りそこに辿り着く術を知りたいと思った瞬間にあなたは迷い家から富を得る資格を失ってしまったことに。
それでは今夜はこのあたりで。