「生成り」ではなく「生成り」の話
「生成り」と漢字を検索された方や「きなり」について検索された方には申し訳ありません。
今回は「生成り」と書いて「なまなり」と読むほうのはなしです。
ですがせっかく来ていただいたので本題に入る前に「生成り(きなり)」について少しだけ説明しておきましょう。
「生成り(きなり)」とは布や糸において染色はおろか漂白すらされていないもののことを言います。
薬品にも科学染料にもさらされていない自然そのままの色合いと肌触りをご堪能ください。
ということでそろそろ本題に入りましょう。今回は漢字は同じでも読み方も言葉の持つ意味も違う「生成り(なまなり)」についてお話ししましょう。
生成り(なまなり)と般若の面
幼いころにお祭りでお面を買ったことがあるでしょうか。世界各国にはいろいろなお面があります。
儀式で使われるものや演劇などで使われるものもあります。
日本にも同様にお面があります。白い狐の面は幼心にどこか恐怖を覚えた記憶があります。
能面と呼ばれるお面達ですがその中にも怨霊を表現したお面があって般若と呼ばれるものがあります。
般若の面と言えばなんとなくでも思い浮かぶ方もいらっしゃると思います。
「般若」とは元々は仏教用語なのですが「源氏物語」の影響から仏教用語の意味とはまったく違う「般若の面」を指す言葉へと変わってしまいました。
嫉妬や憎しみなどの感情により女性が鬼神へと変わってしまったものを般若と呼びますがその顔を表したお面です。
2本の長い角に人のものではない目を持つその顔は正に鬼の顔です。しかし人から般若へと変わるまでに角も短く目にまだ人の心を残した状態があります。
憎しみの弱い状態というか憎しみに飲み込まれていない状態というべきでしょうか。
この人と般若の間の状態を「生成り(なまなり)」というのです。
生成り(なまなり)と陰陽道
日本語とは不思議なものです。同じ漢字を同じ読み方を持っていながらも違う意味を持つことがあります。
今回お話ししている「生成り」も同じです。
この言葉は陰陽道の世界でも使われます。魑魅魍魎や死霊と対峙することも多い陰陽道では一体どのような意味を持つのでしょうか。
人の住まう世界「現世」と人であらざるものの住む世界「常世」。人であらざるものとはもちろん死霊や魑魅魍魎のことです。
死霊や魑魅魍魎の中には人に取り憑こうとするものもいます。そういったものは人の心には隙間に入り込みます。すると人は取り込まれて人であらざるものになってしまうのです。
死霊や魑魅魍魎は元より人で言うところの「生きていない」状態にあります。
人が「生きながら」にして魑魅魍魎に成ってしまうことを陰陽道では「生成り」と呼ぶのです。
般若の話にしろ陰陽道の話にしろ「生成り」とはあまり良いものではありません。
ですが憎しみなどの負の感情を露にすれば般若へと続く「生成り」の道へ。感情を押さえ込んでしまい心に隙を作ってしまえば人であらざるものへと続く「生成り」の道へと進むことになるのかもしれません。
あなたが進むのはどちらの道でしょうか。それともどちらでもない道をあなたは見付けるのでしょうか。
それでは今夜はこのあたりで。