六道と六地蔵 6つの世界と6人の救世主

6人の救世主それが六地蔵

JR京都駅から奈良線に乗り継ぎ宇治に向かう途中に「六地蔵」という駅があります。特徴的な駅名だったので当時の駅の光景を今でも覚えています。

この「六地蔵」という言葉は元々地名としてあるものではなく元はお地蔵様を六体並べたものを指す言葉です。かつてその地には「六地蔵」がありそれが地名の由来なのかもしれません。

しかし「六地蔵」はそう珍しいものではなく全国各地にあるものです。

お地蔵様とは地蔵菩薩のことです。この地蔵菩薩は救われない民衆や子供を救う存在だと言われています。

賽の川原で鬼のいじめにあいながらも石を積む子供たちを救うのもこのお地蔵様です。

ですがなぜ6体なのでしょうか。それは1体1体にそれぞれ救うべき世界が決められているからなのです。

スポンサーリンク
レスポンシブ

六道輪廻と六体の地蔵菩薩

人生は巡るものと言いますが「六道輪廻」という言葉があります。

六道輪廻とは仏教における「全ての命は六道と呼ばれる6つの世界を生まれ変わりながら繰り返していく」という考え方のことです。

六道とは「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「天道」「人間道」と呼ばれる6つの世界を表しています。

まずは六道それぞれの世界を簡単に説明していきましょう。

「地獄道」は罪を償うための場所で一番下にあたる世界。絶え間なく苦しみの続く場所でいくつか種類があります。どこに行くかは罪の重さ次第ですが先ほど話した賽の川原もこの地獄の一つです。

「餓鬼(がき)道」は文字通り餓鬼の世界です。餓鬼とは腹の膨れた姿の鬼のことを指します。この世界では食べるものが全て燃えてしまい飢えと渇きが永遠と続きます。お盆に行われる施餓鬼(せがき)は餓鬼を救うためのものです。

「畜生(ちくしょう)道」は本能の渦巻く世界で何かに支配されながら生きる世界のため自我がない。考えることが出来ないために救いが少ない世界と言われています。

「修羅道」は常に争いと戦いが繰り広げられる場所です。争いの辛さや戦いの苦しみが永遠と続きますがこの苦しみは周りから与えられるものでは自分自身の中にあるものなので他の世界の苦しみとは少し違います。

「人間道」は人間の住む世界でいろいろな苦しみがあるなかで楽しみもある世界です。自分の考え方次第で変わることが出来る世界。

「天道」は人より優れた天人の住む世界でそのほとんどが享楽で満ちている世界です。ただ苦しみがないから煩悩もなくそれ故に教えに出会うことの出来ない世界です。

除夜の鐘が聞こえる 今からちょうど半年後雪の降る街に鐘の音が響き渡ります。 こうして書くとクリスマスの光景を思い浮かべる人もいるかも...

簡単に紹介しましたがこれが仏教における六道です。ただこの六道は命を落として生まれ変わり巡るものではなく移り変わる人の心の状態を表すものだと言われています。

人としての様々な感情の変化を表すものが六道なんです。ですが人間性すら持ち合わせていないものがこの世にはいます。

六道の道を外れた存在であるそれを人は「外道(げどう)」と呼ぶのです。

子供を救う地蔵菩薩と餓鬼道へと繋がる道

お地蔵様こと地蔵菩薩はその六道を全て巡り弱いものを優先に助けてくれると言われています。

その優先順位の一番始めにあたるのが子供です。親より先立った子供は三途の川を渡れず賽の川原で苦行を強いられます。

その苦行から救ってくれるのが地蔵菩薩であり子供たちに教えを説き成仏へと導いてくれます。

そしてお地蔵様の足下には餓鬼道への入り口があると言われています。嘘をつき餓鬼道に落ちたものは食べるものはおろか飲むものも口にすることは出来ません。

しかしお地蔵様に注がれた水だけは餓鬼道にいる餓鬼の口に届くと言われていてその渇きからしばし解放してくれるそうです。その行事が先程軽く触れましたがお盆に行われる施餓鬼と言われるものです。

土地を守る地蔵菩薩と祭り

六道を巡り人を救うお地蔵様はお墓などに祀られています。ですが町や道路脇に祀られていることもあります。このお地蔵様は道祖神と呼ばれその土地を守る存在です。

もうすぐお地蔵様の縁日「地蔵盆」の季節がやってきます。普段何気なく通っている道の脇に佇むお地蔵様ですが年に一度くらいは見守ってくれている事を改めて感じてみるのもいいかもしれませんね。

楽しみながらも守ってくれている有り難さを感じる。縁日の本当の姿がそこにあるのかもしれません。

それでは今夜はこのあたりで。

スポンサーリンク
レスポンシブ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レスポンシブ