因果応報の過去と現在
時が経つのは早いもので今年も7月に入りました。そしてもうすぐ夏休みがやって来ます。その後にやって来るのはお盆ですね。
帰省する方もいらっしゃるでしょう。帰省先では一年ぶりに会う人もいるでしょう。何年経っても変わらない人もいれば一年で垢抜けたりして感じが変わる人もいると思います。
人とその人生が移り変わるように物事も次第に移り変わります。
それは言葉の持つ意味も同じで時代の流れとともに本来の意味とは違った意味で使われるようになってしまった言葉がたくさんあります。
「因果応報」という言葉もそのひとつです。何か良くない事をした人に良くない事が起こったときに「それは因果応報だ」という風に「悪い事をすればそれは必ず自分に返ってくる」と意味で使われます。
仏教から生まれた言葉ですが原因の「因」と果報の「果」を持つこの言葉の本来持つ意味「悪い事をすれば必ず自分に返ってくる」からすれば使い方は間違っていません。
大事な部分が抜け落ちているのです。その大事な部分とは「良いことをすればそれは巡り巡って自分の元に返ってくる」という部分です。
いつからこの部分が抜け落ちてしまったのかは分かりません。ですが現在では残っている部分だけが誇張され悪い意味で使われることがほとんどです。
自分の行った悪行が自分に返ってきたという意味を持つ「自業自得や」「身から出た錆」という言葉。良い事をすれば自分に返ってくるという意味を持つ「情けは人の為ならず」という言葉。
その両方の意味を併せ持つのが本来の「因果応報」という言葉なのです。
人を呪わば穴二つの「穴」って何なんでしょう
ここまで因果応報について話しましたが似た意味を持つ言葉に「人を呪わば穴二つ」というものがあります。
誰かを呪うという機会はまずないでしょうし例えの表現としても使いにくいので普段口にする機会は極めて少ないでしょう。
この言葉が持つ意味は「人を呪えば自らの身を滅ぼすことになる」というものです。
しかしこの言葉には気になる部分があります。「穴二つ」と表現とその「穴」がなんなのかです。実はこの「穴」は墓穴の事を指しています。「墓穴(ぼけつ)を掘る」という言葉がありますがその墓穴のことです。
呪詛返しという言葉を御存知でしょうか。呪い返しのことです。
その昔陰陽師が人を呪う際に呪詛返しにより自分も命を落とすことを想定して呪いの対象となる人物と呪いをかける自分の分を合わせ二つの墓穴を用意させたのが「人を呪わば穴二つ」という言葉の由縁だと言われています。
因果応報と人を呪わば穴二つ
今回お話したように「因果応報」は人が良くも悪くも何かを起こすと形は違えど自分に返ってくるというもの。
「人を呪わば穴二つ」は人を恨んだり呪う事にはそれなりの代償が必要でその覚悟を持って行動しなさいという言葉です。
人を故意に傷つけることは何も良いものはうみだしません。生まれるのは恨みや妬みなど悪いものだけです。しかし人は生きている以上故意ではなくとも周りの人間を傷つけてしまうことがあります。
傷つけてしまった側も傷つけられた側もその後どう行動するかが重要なのではないでしょうか。
今回紹介した「因果応報」と「人を呪わば穴二つ」の二つの言葉ですが少しでも皆さんの心の片隅に残ってくれたなら幸いに思います。心に余裕と優しさを。
それでは今夜はこのあたりで。